Modern Koudan Monologue     ONODA SEKKAKU
語り始め][08正月][08厳冬


[語り始め]
講談用の芸名も考えたことだし、無目的な会話にもかかわらず掲載。聞き手故林。


故林「小野君(いきなり本名)が講談やろうと思ったのは神田山陽さんを見て?」
拙鶴「山陽さんの襲名披露を見て素晴らしいなあーと思いまして」
故林「小野君が第二期コントサンプルに参加していたころ」
拙鶴「そうそう、わたくし最初応募の時年齢制限に引っ掛かりまして、おっほっほっほ」
故林「僕より年上だったものねー、今もタメ口聞いてる場合じゃない」
拙鶴「何言ってるんですか」
故林「ま、いつのまにか年齢詐称疑惑も乗り越えスタッフとしても頑張ってくれていた、そんな小野さんは今」
拙鶴さん「なんで『さん』づけになってるんですか」
故林「笑いを目指したキッカケ聞いとこう」
拙鶴「それはもう、ドリフですかね」
故林「ああー、新宿のアシベに出てた頃」
拙鶴「なんですかそれ」
故林「新宿のジャズ喫茶だよ、リーダーが桜井さんで、ドリフがまだ無名の・・
拙鶴「いつの時代ですか、全員集合ですよドリフを知ったのは」
故林「高校の頃?」
拙鶴「違いますよめちゃめちゃ小学生ですよ、というか幼稚園かそのくらい」
故林「新潟での少年時代、どんな感じの子供だったの?」
拙鶴「みんなが野球とかやってるときに『コロコロコミックス』を写してるような子供」
故林「絵心があったわけだ、クラブなんかはどこに入ってたの?」
拙鶴「中学に入ってサッカー部に入ったんですけど、続かなかったですねー。先輩後輩の意味がわからなかったです」
故林「先輩後輩の、意味がわからない?」
拙鶴「こないだまで一緒に遊んでたのが、中学に入ったとたん先輩面されて偉そうに、意味がわからない。それで二ヶ月でやめましたね、サッカー部。その後剣道部に入って、ここでは先輩後輩がわからないというか、戦い方がわかりませんでした。何がどうなれば『面!』なんだか『銅!』なんだかもう、意味がわからなかった」
故林「君・・・留学生?」
拙鶴「いやいやいや」
故林「もしかして土地柄、某国にさらわれて記憶消されたとか・・」
拙鶴「おっほっほっほ、いやでもあのへんのお年寄りはよく言ってましたよ昔から。気をつけなって。介護の仕事で老人ホームに行ったときも『夜になったら来るよー』って、なまはげか何かみたいに」
故林「民話っぽく聞こえるね。話変わって、とんねるずがえらい好きだったと」
拙鶴「全部チェックしてましたね。夕焼けニャンニャンで暴れてたのが衝撃的で、オールナイトニッポンも欠かさず聞いて」
故林「でも大学では介護士の勉強をして、保育士目指してたって」
拙鶴「宮城で保育園の先生を実際やってました、大学卒業して」
故林「そこも『園児の意味がわからない』ってことで二ヶ月で
拙鶴「いえいえ、えっへっへ、一年ちょっとやってました。その後で役者志して舞台芸術学院に入り直したんです」
故林「舞台芸術学院ってことはペテカンの・・先輩か勿論」
拙鶴「なんですかその勿論って」
故林「でもあれでしょ、渡辺えり子さんと同級生だって」
拙鶴「なんでですか、えり子さん私が入学する時のパンフにコメント書いてましたけど」
故林「で、小劇場中心に役者やりつつ生き抜いてきて、今は講談の教室に通ってるとか」
拙鶴「ええ、広小路亭でやってる神田紅さんの教室で講談勉強してます、発表会もやってます、こないだお寺でもやって」
故林「講談の魅力って何だろうね」
拙鶴「テンポの気持ち良さと・・頭の中で絵がね、思い描ける。映画的な手法に通じると思うんですよ、あの語りが」
故林「畳み掛ける緊張感がね、ナレーションの面白さ。小野田拙鶴『現代お勝手講談』(?)の特徴はそのへんかね。毒も不条理も、あの独特の『語りの格調』で受け入れられやすくなって。共感ネタも今後はどうお客と距離を取るか、かも」
拙鶴「将来的に講談の可能性を何かしら表現していけるよう努力します。キッカケさえあれば誰でも面白く見れるジャンルだと思います」
故林「はい。ではこのへんで小野田拙鶴さんの青春の一曲を」
拙鶴「青春の一曲ですかあ・・槇原敬之の(気づいて)もう少し古い方があれですよね、面白いですよね?・・じゃあ、チェッカーズですかね」
故林「あの60年代の?GSだったっけ・・
拙鶴「チェカーズですよ、めちゃめちゃ80年代、おっほっほっほ」

---2007/5/20

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